こどもの日って何なのか、その由来と意味
子供の日は、なんでできたの?男の子のお祭り?女の子のお祭り?ひな祭りもあるのにずるい!
そんな風に子供に言われたとき、あなたならどう対処しますか?端午の節句は聞いたことがあるけど…というあなたでも、これを読めば大丈夫!代わりにお調べいたしました。
そもそも、端午の節句って?
子供の日が、戦前は『端午の節句』と呼ばれていたのはご存知でしょうか?
この『端午』の字が、子供の日が5月5日であることと深い関係があります。
端午の節句、は古来毎月あったのです。『端』には『初め』の意味があり、その月最初の丑の日が端午の節句だったのです。しかし次第に『午』は音のつながりで『五』に変換され、5月5日が端午の節句となったのです。
この季節は急に暑くなり体調を崩しやしくなる時期でもあり、亡くなる方も多い月でした。このため、毒除けや病除けとして『菖蒲』や『ヨモギ』を軒先などに飾るようになり、日本の平安貴族に定着していきました。
男の子のお祭りの時代
鎌倉時代になると武士が台頭し、貴族の習慣だった『端午の節句』はすたれるかのように思えました。
しかし、『菖蒲』と『勝負』・『尚武(武を尊む、という意味)』が音でつながるため、この二つを大切にしていた武士たちも盛んに祝うようになりました。
そして江戸幕府がこの行事を大切に扱ったことで、庶民にも定着していきました。
戦争で、子供みんなのお祝いに
戦後日本が敗戦すると、GHQは国民行事に対しても指導を始めました。
『勝負』を大切にし、『武士』ともかかわりの深い端午の節句は禁止され、代わりに子供たち全員の幸せな成長を祈るための行事となっていきました。
結局、どういえばいいの?
ここまで長く説明はしてきましたが、こんな話を子供にしても理解はなかなかしてもらえないと思います。
そこで、私が説明するとするなら『昔は病気と闘うためのお呪いの日だったのが、お侍さんが男の子のお祭りにした。
でも、戦争が終わった後は、お侍さんみたいに戦わなくていいように、子供たち全員のためのお祝いにした』とかいつまんで話すと思います。
完全に伝わるわけではないし、多少誤解を招く表現の部分もあるかと思いますが、私としてはこれがよく伝わる表現だと思いました。
読んでくださった方の参考になれば嬉しいです。